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2018.05.07(Mon)
Hello
Good eveyday☺︎
こんにちは pocopikaです☆
寒くなってきて、日中は程よく暖かくて
ようやく秋らしい季節?になってきました!オーストラリアです 笑
さてさて、2週間ぶりのブログ…
何度過ちを犯せば良いのか自分でもわからないのですが、3度目の正直といわんとばかりに
ブログ消してました。
W. h. y.
言い訳はここまでにして、
今日の記事を書きたいと思います☺︎ 笑
みなさんは友達や誰かといる時に一緒に楽しむと思います。
では、友達や誰かが悲しんでいるとき一緒に悲しむことはできますか?
オーストラリアに来て約2ヶ月たとうとしていますが、日本では感じなかったことが沢山あります。
現在語学学校に通っていますが、当たり前のことですが様々な国から来ていて私のクラスは
中国・台湾・韓国・メキシコ・ブラジル・コロンビア・ペルーと文化も言語も全く違う人同士が同じ英語を勉強しています。
思っていることを言葉にできる人、できない人
相手の話を最後まで聞く人、聞かない人
自国の文化を押し付けてくる人、そうでない人
など
本当にさまざまです。
語学学校に通ってできた友達はたくさんできました。
その中で、今日。私は、自分が本当に言葉だけで中身は伴っていない人間だと感じる出来事がありました。
『学校が終わった後、2人の友達と一緒に街を探索しお店に入った。数十分くらいいて、友達の携帯に1本の電話がかかり、外へ出て電話をしていた。なかなか帰ってこなく、様子を見に行くと大泣きしながらうずくまっていた。
お互いが混乱している中、状況を聞き大丈夫大丈夫となぐさめている友達。
私は何をしていいのか分からず、タオルをとりだし友達に渡す。手を握る。
そして、座れる場所を探して一緒に歩く。
どうしても、「大丈夫」「私も同じように悲しい」などという言葉はかけられなかった。
しかしもう一人の友達は、ずっとかけ続けていた。』
「相手の悲しみを共感したい」という思いと
「相手の悲しみは共感しきれない」という気持ちが同時にきて、
「同情」することはできるけど、「共感」することは難しい。
はじめて、この言葉を実感しました。
また、日本では路上で泣いている人がいたら、横目で見て通り過ぎる、他人だからと通り過ぎることが当たり前だと思います。
しかしオーストラリアでは、たまたま今日だけだったのかもしれませんが、テッシュをくれる人、「こっちに来たらいいよ」「大丈夫?」と声をかけてくれる人など見知らぬ人・通行人なのに助けようと行動する人がいました。
「これが文化なのかな…」
そう感じます。
I want to become a human being who can sympathize with human's sorrow
人の悲しみに共感できる人になりたい
言葉ではいくらでも言える。
でも、それが現実になったとき本当に行動できるか、言葉通りにできるかといわれたら答えられない。
自分が実際に体験したことでないと、相手の気持ちは共感できない。
まだまだ分からないことがたくさんあるからこそ、おもしろいし考えて悲しくなります。
相手の気持ちが分からないから諦める
のではなく
分からないから分かるように行動する
まずはここから始めたいと思います‼︎ 笑
来週もぜひお会いしましょう‼︎
更新します☺︎‼︎ 笑
ではMatilda Bay Reserveで撮った写真とともに…
Aunt Rose,your drink🇦🇺